四半世紀近く前、オーストラリアでの話

1983年の春(北半球では秋)から84年の夏にかけて、オーストラリアに居たことがある。メルボルンから北に数時間ドライブした、ミューレー川岸にあるグライダー場に、曳航パイロットとして出向いたのが、本来の理由だった。

近くの村の広場には、何製の機体か素性の分らない(おそらく複数機の部品を使って創作した)グライダーが、彫刻作品のように展示されていた。何はともあれ休憩したくなり、午後も早かったせいか、誰も居ないひっそりした村のバーに入り、ビールで乾いた喉を潤したことも覚えている。グライダー場に到着すると、その日の教習を早めに切り上げ、歯科医に向おうとしていたグライダーの世界チャンピオンがいた。しかし、そのチャンピオンに出会って話をしたことより、滑空場のハンガー(格納庫)のサイズのあまりの大きさに、完全に圧倒されてしまったのを、今でも鮮明に思い出す。

その後は、米国の飛行機ラインセンスを、豪州のライセンスに切り替える為に要求されている、筆記試験の準備に追われる羽目となった。英語圏で共通した内容だろうから免許の書き換えも楽勝であろうと、到着後には予想していたのだが、用語の定義が全て違うことに現地で気付き、大慌てで勉強し直す必要があったのだ。

数日間の勉強ののち、メルボルンの航空局で受験し、無事に合格。書き換えは試験日のうちに完了して、一安心したのではあったが、曳航パイロットとして活動すると言う当初の目的は、その他の予測外の事情がいろいろとあって、早々に諦めざるを得ないことになった。なけなしの金で観光とソアリングとを楽しむという、観光客へと変身した訳ではあったのだが・・・。

その後、当初の目的を果たすことなく失意の旅に出て、ヴェナラワイケリーナロマインの各グライダー場を訊ねることにした。そのうちの一つ、ワイケリー滑空場に到着すると、そこの職員から日本人のビジターがまもなく到着することを知らされ、せっかくだからと村のバス停に出向くと、そこには若い日本人二人が、パックパックを背負って立っていた。その二人が1ヶ月後、一足先にアメリカに舞い戻ったTetsuを追っかけて、オーストラリアから直行で動力機ライセンスの上乗せ訓練の為に米国までやってくるとは、その時点では思いもよらなかったものだ。

そのバックパックを背負った二人、S君は自動車会社で、M君は世界を舞台に最先端加工技術を売り歩くビジネスマンとして、大いに活躍していると聞く。そのM氏(君と呼ぶのは卒業しなければ・・・)が先月、出張の途中にデンバーに立ち寄ってくれた。

ああ、あれから、もう23年か・・・・・・。

Time flys.

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